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涙の理由

  • 執筆者の写真: 暁海
    暁海
  • 2020年7月2日
  • 読了時間: 3分

ヒ口からバトンを受け継ぎました、のしんです。



実は先日、約4ヶ月ぶりに能を観に行きました。


最近YouTubeなどで能を観る機会が増えたとはいえ、やはり生の舞台には適わないと実感した一日でした。(全身に謡の振動をビリビリと感じて、幸せいっぱいで帰りました…。)





さて今回私が紹介させて頂く演目は、かの有名な(?)女武者、巴御前が主役の能『巴』です。


これは、巴御前が幽霊となって旅僧の前に現れ、生前の粟津原(琵琶湖畔)の戦の末、主君である源義仲に最期の供を許されなかった執心を涙ながらに告白し、弔いを頼んで消えて行くという、単純ながら修羅物としては愛が重ためのストーリーとなっています。



練習用の長刀


巴御前の象徴とも言える長刀を使い、大勢の敵を華麗に切って行く最後の戦いの場面は圧巻ですが、なんと言ってもこの能の一番の見どころは、源義仲と巴御前の「別れ」の場面であると思います。


琵琶湖の夕焼け(三井寺の鐘が鳴り渡る)


この別れの場面は、最期の供を願い出た巴に対し義仲が「汝は女なり」云々と断り、巴も涙ながらにそれを受け入れるというもので、舞台上での動きは殆ど無い(主役の巴は座ったまま動かない)のですが、観る者の心次第で様々に色を変える不思議な場面となっています。


この時の巴の涙の理由は、観る者やその時々の心の状態によって様々に変わると思います。能の解釈に、正解も不正解もありません。


最期を供にできないことが悔しくて泣いたのか、義仲に断られたのが悲しくて泣いたのか、最期の別れだと思ってどうしようもなく涙を零してしまったのか…。

様々な理由が挙げられると思います。





これは私個人の解釈ですが…この時の巴は、全てが腑に落ちたような、もしくは雷に打たれたような衝撃で、理由なくただ呆然と涙を流していたのではないかと思います。

“生きろ”という不器用な義仲からの最大の愛の告白を受けて、ただただ涙するしかなかったのではないかと…。


そしてその告白への巴の返答が、「かくて御前を立ち上がり」からの毅然とした武士としての態度、立ち振る舞いそのものであったのだと思います。



粟津原の中秋の名月


人の感情には、“喜怒哀楽”などの名前では表現できないものがあり、そしてその“感情”は自分の心の中に確かに存在してはいても、言葉で完全に説明することのできないものです。


言葉では表現し切れない、その“感情”は体内で濃縮されてゆき、とある一瞬に、爆発を引き起こします。


能を観る時、または演じる時の最大の楽しみは、その爆発を体感することではないかと、私は思います。





「面白や 鳰の浦波静かなる…」と最初に巴が声を発する時には、「面白や」という言葉では説明がつかぬほどの感情の大爆発が、既に舞台上で起こっているのです。



話がだいぶ逸れてしまいましたね…


次は、三回生のおでんにバトンタッチです。

お楽しみに!

 
 
 

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